第4回レポート

 

 

第4回世界観 レポート 第2期EDE運営委員会
 
第4回EDE「世界観」は、12月10日午後1時半より3日間に渡り開催されました。今回のプログラムは世界観を捉えるための、少し論理的な内容から、日本の伝統智、自然と繋がる体感ワークまで、多彩な要素がぎゅっと詰まった、盛り沢山な内容でした。
 
【1日目(12/10)のプログラム】
・導入・オリエンテーション・カリキュラム1「大地の心理学1」・カリキュラム2「大地の心理学2」・夕食 

・コミュニティ・タイム1「EDEの歌」 

 
●導入・オリエンテーション
最初に代表の鎌田さんの挨拶のあと、スタッフも含め全員のチェックインをし、現在の気持ちを色に例えて表してもらうとともに、近況報告、持参した本の紹介が行われました。
 
本の紹介をする、トノさん
 
部分参加で初参加の、そらさん
 
次は今回の「世界観」のプログラムの概要説明です。鎌田さんより『 世界観とは何か? 』 との問いかけを基に、EDEの中での世界観の位置づけ「社会、経済、環境を新たに実感した世界観から見直す」ことについて説明がありました。観(る)≒理解する、意味づける。今回の目的は以下です。 

(1)日本の伝統智の豊かな可能性に気づき、近代的世界観を相対化する 

(2) 世界を観る仕方、心や意識のあり方の拡大の可能性をつかむ 

知識を得るだけでなく、体験を通して実感し、その実感を表現することを目指します。 

 
●●カリキュラム1「大地の心理学1」 講師:廣水乃生(ノリさん)
 
ここでは自分の中にある方向感覚の体感とベクトルの理解により、プロセスワークの考え方を学びました。
 
講師のノリさんより「皆さんに伝えたいことは、自分の感覚を信頼すること。このカリキュラムでは、こういう風に世界観を眺めるべきものということでなくて、自分のもっている感覚を信頼するという気持ちを大事にして欲しい、ということが結論になります。」とのお話がありました。
 
続いて、ノリさんから、改めて自己紹介をしてもらいました。
ノリさんは7年教師を務め、教育を通して人と人とのつながりの大切さを感じ、3年間アメリカ・ポートランドにあるプロセスワーク研究所で学びます。
自己紹介するノリさん
 
「大地の心理学(Earth
Based
Phychology,アーノルド・ミンデル,2009年日本訳)」の本を参照しながら、「この『大地の心理学』(プロセス指向心理学)の本では、シャーマニズム、タオイズム、量子力学、心理学などの観点から対比・検証しながら、世界が同じような基本パターンで眺めることができることを言っています」と解説しました。
まずは、この講義のキーワードである「クオンタムコンパス(量子による方向感覚・羅針盤):誰もがもっている道への自覚」を感覚で体験することから始めます。
 
*セッション1 方向感覚の体感
初めのセッションでは、ノリさんのガイドに従って身体の方向感覚を感じ取りました。
先ず最初は、身体を軽く動かしてからリラックスさせて、身体の感覚、ガイドに意識を半分向けます。身体を静止して観察し、身体自身がどこに行こうとしているか自分自身に問いかけてみます。機会がきたら自分の身体がどこに動いているのか感じ取り、身体が行きたい方向にゆっくり身体を向けていきます。自分の動きを数分間観察し、自分の中に起こっていることが何であれ感じ取ってみます。身体が自らを説明するまでその意味のある方向に動いていきます。(数分間感じる)
 
デモンストレーションするノリさん
 
実際にやってみます
 
参加者の方からは「エネルギーにひっぱられた」「固い感じをほぐす方向に傾いた」「行きたい方向に傾いた」といった感想が聞かれました。
 
意識的に動くことをやめても、どこかの方向に身体が動こうとするのは、何によるものなのか?ノリさんの解説によると、これは量子力学、心理学、シャーマニズムがさまざまな形で説明しているのだそうです。内的に意識されていないことが起こることは、心理学では無意識の働きと考えます。夢は無意識から出てくると最初に考えたのがフロイトで、初期のフロイトの解釈では、過去のトラウマが無意識に蓄積され夢として現れると考えました。一方、ユングは未知なる可能性が夢に現れる、今ある夢はどこか目的があるところへ連れて行くと考えました(目的論)。ミンデルはユング派の分析家であり、同時に理論物理学者でもあり、ユング心理学をさらに発展させました。そうして生まれたのが、プロセスワークです。ミンデルは、身体の痛みに対する人の反応を観察して興味をもちました。人間は「痛いのをなくしたい」と想いながら痛い箇所をより痛くするような行動をします(例:肩こりの肩をグリグリしたり、かさぶたをとる行為)。そのように、「痛みはなくしたい」ことを意図しながらも、無意識的には痛みを強める行動をします。意図しないで無意識的に発生するという点で、身体の痛みと夢は同じ構造ではなにかと考えました。つまり、身体症状は夢と同じ役割で起こっているというとらえ方です。 

ユング心理学は基本的に夢を解釈せず、例えば夢を聞いて積極的に想像させることでクライアント自身が夢のもつ「意味」に気づく方法を用います。この方法を「アクテイブ・イマジネーション」といいます。それを痛みに応用することをミンデルは考えました。もっと痛みを増幅させ、身体症状の増幅する方向へもっていったらその「意味」を受け止められるのではと考えたというのです。 

さらにミンデルは、これを人間関係の問題に応用します。人間関係、集団紛争も同じように意図せずに起こっているので、目的論的に考え、そのことを積極的に展開することで、人間関係や集団にとって「意味」が立ち起こり問題が消失するという訳です。 

このことをミンデルは量子力学の観点からの世界の基本パターンから対比して、スピリチュアリテイも同様の基本パターンをもっていると考えました。現実とは何かをとらえる際、量子力学の常識と日常の常識は違っているといいます。 

日常の認識はニュートン物理学まででとまっていて、目に見える範囲で測定可能範囲内にいます。一方、量子力学は、目に見える現象の背景を記述しています。その背景にあるのは、測定不可能で目に見える現象を生み出す基本パターンで、それを数学的に表すものが波動関数です。つまり現象として起こりうる可能性を記述しているのが量子力学の波動関数で、私たちが観察できるのがその中で現実化した一つだけなのです。つまり私たちの日常的な感覚では、起こってこない他の可能性は存在していないとなりますから、量子力学で言う可能性は非常識に感じられる訳です。言い換えると、無数の可能性がパラレルワールド(波動関数の解釈のひとつ)のように存在している可能性など、SFか映画の話だと考える訳です。量子力学的には、様々な可能性のうちのどの現実を体験しているかは、観察者の意識との関係性で起こってきていると考えるのです。 

つまり量子力学的には、私たちの体験そのものも波動関数の可能性から私たち自身の影響からひとつを体験していると言え、同時に波動関数が私たちに何かを振る舞わせているとも言えるのです。身体がもっている方向性は、波動関数がひとつの現実を生み出していくこととつながりがあるのです。 

 
●カリキュラム2「大地の心理学2」 講師:ノリさん
 
この講義では今の状態と夢の状態という2つの状態から本来向かうべき「大きな自己」に気づく、という「ベクトルワーク」とよばれるワークを行いました。これは日常の状態と夢の状態をイメージし、実際に体の感覚で自らの全体性を生きる道を実際に歩くことを通じて感じ取るというものです。「大きな自己」とは、一生涯すべての出来事ひとつひとつを矢印(ベクトル:向きと大きさで表されるもの)であらわしたとき、それらの矢印をすべて結んだ(ベクトルの足し合わせをした)ときの始点と終点を結んだものです。ただ、これだと私たちがすべての経験を矢印(ベクトル)で取り上げなければ、「大きな自己」が見いだせないことになります。しかし、大雑把には、最高の状態と最低の状態といつもの状態と非日常な状態の4つ足し合わせからある程度「大きな自己」が見えてくるといいます。今回は「意図している矢印」として日常の状態、「意図していない矢印」として夢の中の状態をとらえて、ここから「大きな自己」を探るということを体感しました。まず、始点を決めて印Aをつけます。そこで日常の自分をイメージします。イメージできたら、なるべく日常の意識をぼんやりさせて「ぼ~っ」とした感じで、だけど感性が研ぎ澄まされたような状態(これを変性意識状態といいます)でイメージした自分になって、そこで感じた感覚にしたがって好きな方向に好きなだけ、好きな方法で歩き、止まった場所に印Bをつけます。次に点Bで最近見た夢の中にいる感じをイメージして、そのときに感じた感覚にしたがって同様に歩きます。そしてまた終点に印Cをつけます。最後に最初の始点Aから最後の終点Cに向けてまっすぐ、変性意識の状態で感覚にしたがって歩きます。そのとき自分はどのように感じるか? 

参加者の皆さんはみな思い思いの方法で変性意識に入っていきます。
手をひろげたり、腕を組んだり、よこに揺れたり・・・足踏みしたり、飛んでみたり・・・ 

そして、目を閉じて感覚を研ぎ澄まします。足を踏み出しまた止まり、戻っては感覚を確かめます。 

 
目を閉じて感覚を研ぎ澄ませます
 
頭をホールドする人もいました
 
このワークを体感して「夢の解釈が大きく変わった」とか「自分のしたいことがあらためて見えてきた」というように、何かを感じた方が多かったようです。このワークでは「クオンタムコンパス(量子の羅針盤)」という言葉がキーワードになります。講師のノリさんによれば、この世界を形作る基本の粒子である原子や分子はあるエネルギーをもって動き回っていますが絶対零度と呼ばれるー273℃では完全に停止し、エネルギーはゼロになる、と考えられてきましたが、絶対零度においても粒子は微細な振動をしていることがわかっているそうです。これをゼロポイントエネルギーと呼ぶそうですが、この振動がすべての始まりにあると考えられています。またニュートン物理学の観点では、粒子が動くとは、それを動かす原因(たとえば何かがその粒子に衝突したとか)があると考えるのですが、量子力学の観点では、粒子は微細な振動から自分が取り得る動きの可能性を嗅ぎ回り、その可能性の中から最小作用の動きを選ぶと言います。ミンデルは、人間の振る舞いもニュートン物理学的なとらえ方と量子力学的なとらえ方が可能だと考えました。何か問題が起こったときその原因を考える、どちらかと言えば観察可能なことに基づく日常的な考察はほとんど前者のとらえ方に近いわけです。ところが先ほど、参加者のみなさんがワークしたように私たちの行動の源に量子力学的な側面が見えてくるわけです。すべてはこの粒子の振動から始まって、最終的には人の行動が決定される、ということなのですね。ゆえに量子の羅針盤「クォンタムコンパス」とよばれるわけです。 
 
意識と現実の状態をベクトルで説明する
 
普段我々は意識的に行動し、その中でいろいろな出来事に遭遇するわけですが、意識的な制限がない夢の中ではクオンタムコンパスによってしめされる「本来あるべき姿」の方向へ向かって出来事が起こると考えます。これがベクトルワークの基本的な考えです。
ワークではじめに行う、日常の状態を現す矢印は、意識で邪魔されて本来の方向とは違う方向を向いてしまっているのですが、夢の中ではこのずれた矢印を本来の方向へ修正するように動くわけですね。だから最後に歩く方向は、今自分がとるべき最適な生き方(最も自然な生き方・量子力学的には最小作用に沿った生き方)をしめしているということになるので、ここを歩きながら、具体的にどうしたらいいのかということを感じよう、というわけです。意図することと意図しないことの足し合わせで、私たちは人生の最小作用の道を進んでいるととらえることができるという考え方です。とてもおもしろい考え方ですね。
 
●コミュニティ・タイム1「皆の思い、言葉を歌にするワークショップ」
担当:ブルース佐藤さん
 
夜のコミュニティタイムは、オカリナの演奏から始まりました。
 
特別参加で駆けつけてくれた黒澤常道さん
福岡正信さんの 『 わら一本の革命 』 を英語に翻訳した共訳者
自然農法の探求者であり、オカリナ奏者でもあります
後ろは、メイン講師のブルース佐藤さん
 
黒澤常道さんのオカリナ演奏のあとは、ブルース佐藤さんのファシリテートで、参加者全員でEDEの歌をつくりました。最初にエッグマスカラ(小豆の入った音がでる卵型の打楽器)をもって2人組に分かれ、「聴く、合わせる、絡む」ことを通して感覚をつかむワークをしました。「うなずくや耳を傾けるといった動作が大事になってくる」と佐藤さん。参加者は相手に音やリズム合わせるときに、イスを向かい合わせたり、両手や体を使うなど自由に表現し、個性豊かなセッションを楽しみました。
 
超楽しそうな雰囲気!!!
 
次に、各グループごとに分かれて、EDEを体験してみて、感じたことをキーワードにして、それらをKJ法でトピックにまとめ、歌詞をつくりました。「大きな自己、自分の声」「調和、なごみ、笑顔」「ゆっくり、まったり」「心無にして」「コミュニオン、融合」「安心・安定」「可能性、無限大」「温故知新、新時代」「正直」「感謝」「持続可能性、つながり」「笑い、楽しい」といった沢山のキーワードから、各グループごとにユニークな歌詞が連発。参加者の赤ちゃんの名前まで登場しました。
 
KJ法でキーワードをリストアップ
 
最後は、佐藤さんのギターによる即興で、明るいフォーク風のメロデイーにのったEDEの歌が完成!そしてみんなでひとつになってEDEの歌を熱唱。大いに盛り上がった楽しいワークでした。
 
熱唱するブルース佐藤氏職業は大学の教員さん
 
「ふしぎですてきなEDE」
歌詞:第2期EDE参加者、作曲:ブルース佐藤
 
1.自分の自然 相手の自然
ひらく つながる ハーモニ
Just Be いまここ 大きなワタシ

  

ワタシは光 ふしぎですてき 

2.車をのりすて かけつけた 

おどって はじけて ころがった 

ももか といっしょに 成長している 

めざすは我らのコミュニオン 

3.あなたにお任せ ひとになった  

ずっとつづくよ 未来へつながる ほっこりライフ 

希望あふれる爆笑  

キャバレー 

 
夜の10時からは恒例(??)のアルコールタイム(希望者だけです‥‥)
 
ブルース佐藤さんを囲んで楽しいひと時
 
流しの『 しなさん 』、登場!!
 
【2日目(12/11)のプログラム】
・健康と癒し コミュニティ・ヒーリング・朝食 (マクロビ7号食)・前日の学びの報告 

・カリキュラム3「日本のコミュニティの伝統智とは1」 

・昼食 

・カリキュラム4「日本のコミュニティの伝統智とは2」(→修験道体験) 

・夕食 

・コミュニティ・タイム2「第8回実践地の学びの説明」 

 
●健康と癒し
朝のプログラムは、三谷さんの健康と癒しの実習です。
過去3回で肩こりのケア(A)、腰痛のケア(A)、肩こりのケア(B)、と行って来て、今回は腰痛のケア(B)と言う事で、一区切りになります。但し、今回は若干難易度が高いとの事でした。
 
調整ポイントは腰の中央で、まずその部分を感じるために自分で触って歩いてもらいます。
 
受ける人はうつ伏せになり、やる人は肘で腰の中心に圧をかけます。この状態で、受ける人に動いてもらい、腰を緩めます。
 
先ず、三谷さんがデモンストレーションします
 
ペアを組んで実習します
受け手が、身体を動かして自分で癒します
 
●朝食 (マクロビ:玄米7号食)
 
●カリキュラム3 「日本のコミュニティの伝統智とは1」 講師:内山節さん
 
内山さんは日本の思想、共同体に詳しい哲学者。群馬の上野村に魚釣りに行って、長期滞在を繰りかえすうちに移住し、半東京半上野村の生活されています。村の暮らしが大好きだそうで、地域の人達と村づくりの活動などもされているそうです。
 
【講義概要】
1. 伝統とは (1)「伝統」のあやうさ (2)問いを持ち続けること 

2. 日本の伝統的なコミュニティの特徴とは?(西欧との対比で) 

3. 社会(日本の伝統的なコミュニティの各論) 

 (1) 伝統的なコミュニティでどう意思決定? 

    もめごと・いさかいをどう解決してきたか? 

 (2) 共同体の結束力とは?それをどう維持してきたか? 

 (3) 共同体における個の自由とは? 

 (4) 共同体の教育力とは? 

 
(以下は内山節氏のプレゼンに基づき、EDE運営委員会で趣旨をまとめています、微妙なニュアンスの違い等ありましたらご容赦下さい)
 
○日本人が答えられない「日本の思想」
 
 自分の専門は哲学だが、西洋哲学は20世紀後半にはいると基本的考えに誤りがあるのではないかと思い、東洋思想を勉強し直した。かつての日本人にとって自然の意味とは、「自然と人間を分けない」ということだった。「社会」も「個人」という単語も日本になかった。いま日常使っている言葉は、ほとんど明治以後翻訳されたもの。つながっているものの、つながりを切って「個人」などという言葉が生まれた。今の日本人は8割は欧米人とつながっているとも言われている。 自分も日本のことは深く知らなかったが、たまたま上野村で暮らしているので日本思想について勉強している。 

フランスに良く行って哲学の議論していたが、欧州の人は自分達の哲学で話をしているのに、日本人の自分は何も話せない。彼らは自分達の国、文化圏を話をしながら互いに何でも話し合えるのに対し、日本人は日本文化についてあまり知らない。 

 
講義する内山節さん
 
○伝統、過去はなぜ必要なのか?
 
 現在の何かが壁にぶちあたったときにじゃあ過去に戻れるかというと、江戸時代には戻れない。例えば鮭は江戸時代の上田で5万匹いたが、今は年間5匹ぐらいしかいない。江戸時代は、親孝行な子供は朝早くしじみをとって家計を支えていたが、東京ではゴミしかすくえない。豊かな自然があるので江戸期が成り立っていたが、江戸時代の様な自然がないと江戸時代に戻っても暮らせない。 しかし過去もヒントを得て活かすことができる。「未来は未来に存在しない」、未来は来年の今日で「予告」にしかならないが、過去は読み直すことでヒントをもらうことができる。歴史を読むことで、壁にぶちあたったときにヒントをもらうことができる。 今の世界の悲劇はアメリカ、つまり過去を持たない人たちが権力を握り支配していること。過去を持たないと思想が貧困になり、何か迷ったときにも知恵がない。 

 日本では縄文時代の一番最後に人口が5,6万人になる。5,6、万人の規模が一番暮らしやすい規模。無理して開墾しないで、つまみ食い(山菜、狩猟、漁業)すれば成り立っていた。弥生時代に入ると人口が増加し、今まで住まないところも住なまければならなくなった。江戸時代には1100万人になる。その後人口が急増して、江戸中後期は3000万人になり、いろんなところで農地を開墾した。現在はその4倍の1億3000万人。人口は減らす、増やすものではない。自然と人間が調和するためには、みんなが「つまみ食い」出来るような自然と人間の関係を作ればいい。 

 
○伝統智の教え-日本建築の例
 過去をもつことで未来へのヒントになり、自分の思考の幅を広げることになる。 例えば日本建築においても、歴史の厚みがヒントをくれる。このセミナーハウス(会場)では床板に杉を使っているが、日本建築では床に杉は使わない。杉は柔らかいので傷がつくため塗装の力で傷を防いでいる。伝統建築は劣化しにくい松を使い、塗装はしないで拭き掃除をする。日本建築の床は広葉樹系、ケヤキ、トチ、ナラ系の木を使う。このセミナーハウスでは梁は集成材を使っているがもって50年ぐらいだろう。集成材の接着剤は高分子系のものを使っているので当分劣化しないが、ある日突然劣化し始める。それに対して天然の木は年数が経つほど強くなる。奈良の法隆寺は建ててから1310年ぐらいで、まだ折り返し地点にも来ていない。日本の木造住宅は100年も200年ももつ。乾燥状態、内外の温度差が同じで風通しが良いと耐久性がいい。法隆寺も同じ条件だ。 戦後、60年代頃から鉄筋偏重主義になり、国は今も基本的には在来工法を認めておらず、木造大型建築は建設しにくい。しかし組み木で組んでいる在来工法にくらべ、金具はまわりの木を劣化させる。在来工法は柔構造で地震を吸収する(揺れて吸収→壁が壊れる→家がずれる)が、現代建築はボルトで固定するので地震を吸収しない。また改築による欠陥住宅も多い。母屋は柔構造なのに、改築部分を剛構造にすると地震がくると倒れる。どちらかに統一しないと地震に弱い。柔構造で地震の力を吸収するが、木造の家に住むと改修することが多く、大工は今の現代技術で対応するので、工法を統一できない。生きている木にあわせて直さないと少しでも狂うと欠陥住宅になる。在来工法は建ててからもメンテナンスをしながら使って行くが、欠陥ではなく、「建物が生きている」のである。 
 
○伝統の危うさ、何を持って伝統とよぶのか?
 伝統野菜とは、明治より前の昔からつくっている野菜のこと。大根、ごぼう等がそうで、下仁田ネギとかその土地ならではの品種改良がある。白菜、キャベツなどは明治期に外から入ってきたもので、日本の歴史的なものではない。 伝統という言葉を使うときに、いつごろから、何を指すのか。近代以降のものは伝統とは言いがたい。「日本」という国家も、国境線をもって人為的に作られた歴史で、伝統とはいいがたい。日本列島に暮らした人たちはいて、共通の認識はあったが、伝統国家は存在しなかった。共通認識の範囲は、近年まで北海道、沖縄は含まれなかった。(北海道にアイヌが来たのは1400年頃)
 
伝統について語る内山さん
 
 国家によって人為的につくられた伝統もある。例えばお墓をつくるとき先祖代々の名前を彫るのは明治以降。昔の墓は1人1壕だった。イエ制度が明治に天皇制を支えるものとして作られ、そこで墓の作り方も変わってイエの墓になり、位牌をおいて祖先を祭るようになる。仏壇は江戸中期から置かれるようになった。戸籍管理は江戸幕府から寺を通してなされていた。
 
○日本の共同体の特徴
 共同体、コミュニテイの見方も注意が必要だ。古代にも、その時代ごとに多数の共同体はあったが、江戸以前は資料が不足しているためさかのぼりにくい。天皇系の支配地域を外れているとまた違い、その中身も様々だ。 鎌倉時代の武士の共同体辺りから、はっきりと形ができていったことが伺える。棟梁は普段は鍬をもって農村に暮らし、有事のときに武装した農村共同体の人々が鎌倉に駆けつけた。その後、武士と農民が分離し、江戸期に農民共同体ができたが、時代によって共同体も変貌してきている。江戸期は資料がたくさんあるので研究しやすく、現代とつながりが残っているので「伝統」と言う言葉が江戸期の形態を指すことが多い。日常生活レベルで参考にしうる「伝統」となると江戸時代のものだろう。 「共同体」という言葉も明治以降の言語だ。何から訳したのかわからないが、英語のコミュニテイか、ドイツ語のゲマインシャフト、フランス語のコミュノテが語源かと思われる。日本では村、町、集落、部落などと呼んでいた。 

 日本の共同体は、自然、死者(地域のご先祖)も共同体の構成メンバーに入っている。欧州は人間だけなので、自治をしようとすると、生きている人間だけでやればいいので原理は単純だが、日本では自然、死者を含めた自治なので、自然、死者の論理をとりこむために、年中祭りや行事がある。お盆、お彼岸にはご先祖が帰ってくるが、これは死者を自分達の家に呼びこむ行事だ。伝統的な日本のご先祖は幕府以降の人物が多いが、ご先祖様とは江戸までは「このムラを作った人たち(地域のご先祖)」が優先で、ちゃんと手を合わせていた。明治以降は地域でなく「我が家の(イエの)」ご先祖様に変わった。このように個々のイエが天皇制を支えるという構造が作られた。 

 日本の農村には支配階級の建物がないが、欧州には領主の家がある。西洋では領主が直接支配していたのに対し、日本の場合は庄屋が年貢を集める間接統治だった。江戸期の租税率は50%程と高いが、農民は絶えずごまかそうとし、実際には納税していないものも多かった。「雨が降ったら調整に使う」などと言ってごまかした“隠し田”など台帳に入っていないものもあり、また裏作・畑作は租税対象にならなかった。これらを鑑みると江戸期の納税率は実質10~20%だった。農民達は自分達の実社会をつくっていて、その内実も山と海、地域ごとで異なっていた。農村では冬場に別の場所へ働きに行っていた。それも小手先のものではなく、ちゃんと専門家として働いていた。 

 百姓一揆は武士が了承しないときは、連帯一揆、全藩一揆(藩内の全百姓が一揆を起こす)へと繋がっていった。一揆のネットワークがひろまると藩はたちうちできなかったため、一揆が起きた時点ですべて百姓の勝利だった。一揆の首謀者は名乗り出て打ち首になったが、後にその人が神様となりムラで神社ができたりもした。武士は恨まれ続けることになるので打ち首にはあまり乗り気でなかった。一揆の首謀者が「天狗」や80歳以上の高齢者などありえないような人物にされるときもあった。80歳以上の高齢者は打ち首が執行できないため、「罪人であるから見張っておけ」と息子に払い下げられた。武士は天狗を探すために3、4日「山狩り」をして、「天狗はいなかった」という報告までしていた。 

 幕末になると、打ち壊しなど、商人を襲うという別の状況が生まれる。村人みんなで「村を捨てる」というような一揆もあった。  

 日本の農村の共同体は自分達の自治組織としてつくっていて、武士とはにらみ合いの関係にあった。人々は自然、地域をつくった先輩(ご先祖)とともに共同体をつくっていった。 

 
○日本の「個」の確立
 「日本人は個の作り方が弱い」とよく言われるがそうではなく、日本と欧米では個の作り方が違う。水平的な他者に対し自己の違いを主張するのが欧米型の個の作り方。日本人は個を作ろうとすると「自分を極める」というところへいく。悟りを得ようとしたり、職人が技を磨くように、自分を垂直に深く掘っていくので、他人はどうでもよくなっていく。自分だけの自分を深め、つくりあげていく。私達は個の作り方が欧米の作り方だと思っているが、日本とは中身が違う。
 
個の確立についてお話される内山さん
 
 日本の共同体は「自分を極め、深める個人」の集まりだった。技として極め、自分達の自治社会としてつくっていった。そのため日本では「私とあなたは違う」と強調すると、嫌われる。個の確立と共同体のあり方は矛盾しているものではなかった。 幕末は日本の識字率は8割、フランスは1割だった。当時、日本人は世界一文字が読めた。共同体で暮らしているなかでは書付、文章を読む必要なかったが、日本の共同体は外とのつながりがあったので、文字を使った。 教育は、寺子屋教育、我が家教育、地域教育、若者教育で、文字・非文字教育の2種類があった。非文字系の教育は親が子へ家庭内でするものはあまり上手くいかず、おじいさん・おばあさん、地域による子供の教育(寺子屋とか)が上手くいく。先輩が若者組の後輩に、祭りや礼儀作法を教えたりしていた。会津の雨祭りというのがあって、雨が降ったら農業をやめ、太鼓たたいて一斉に連絡をし祭りにした。その雨祭りの決定権は若者組にあって、祭りを通して責任感を養っていた。 

 伝統的なコミュニティでの決定は「寄り合い」で行われていた。全員参加型で、決定は満場一致以外にない。なによりも継続性を重視していく。しこりを残すと継続性に影響がでるので、敗北者をださない仕組みになっている。人望のある人を間に入れたり、爺さんをたてたりしながら、長いときには3日間くらいつづけることもあったが、長時間に及ぶとおにぎりの差し入れなどもあった(民俗学者の宮本常一が記録を残している)。ここでは正しいかどうかではなくて、追い込んだ奴の方が間違い。個の自由を認めるが、皆が大事にしている個の自由は「自分を深める」ということで、しこりは残さないようにする。どうしても折り合いがつけられない、満場一致はできない場合、「以降一切 意志決定をしない」という結論を出すこともあった。 

 
『日本 』とは、なんだろう
 
●カリキュラム4 「日本のコミュニティの伝統智とは2」 講師:内山節さん
 
 カリキュラム4回では、日本の共同体の経済的な仕組み、食と健康観、自然観についてお話を伺いました。
 
【講義概要】
 
(1) 経済的弱者をどのように支えてきたか?(2) 格差を作らない仕組みは?(3) 自分たちの健康をどう守ってきたか? 

(4) 自然から何を学び暮らしの中でどう活かしてきたか? 

 
○経済的弱者をどう支えてきたか
 日本の伝統的共同体は、社会が不平等を生み出すことについては承認している。社会の不平等は、本人の能力を超えて、いろんなものの結果として生まれているからだ。全員を同じにしないので、格差が生じるのは避けられないが、その代わりに再配分システムがあった。 金持ちは金を出すのが当たり前で、寺の建て替えや祭りの御輿の修理など、何かの時にお金を出していた。共同体の中で貧乏な子供の教育費や治療費をもってあげたりもしていた。「お祭りは平等」の精神があった。 山形・酒田に本間家という大・大金持ちがいた。「本間さんにはなれないけど殿様くらいにはなれるかも」と言われるほどの大物で、最上川の全域から米が入ってきていたらしい。戦後になっても町で独立する者が本間さんのもとに挨拶に行くと、500万円とかいうお金を差し出してくれたりしたそうだ。しかしその本間家が30年前につぶれ、町は大混乱。市の職員すら「市営住宅は本間さんの寄贈」だからと大慌てだったという。町の人は「本間さんの世話になっていない人はいない」という。 

 岡光男という山村共同体研究者によると、山村の金持ちは3代くらいしか続かないという。1代目が倹約しても2代目がそのお金を出し始め、3代目が使いきってしまうのだそうだ。 

 お寺も重要な役割を果たしていた。例えば多くの場合漢方薬がお寺の奥さんの仕事だった。具合の悪い者に薬を仕入れ値で売り、貧乏な人にはただで追加であげていたという。またお寺が孤児を引き取って育てていた。このようにお寺は共同体にとって重要な存在であるから、何かあったらみんながかけつけてくれた。 

 
○排他性の理由
 日本は山が多く農地が限られているので、農村社会で暮らせる定員が決まっており、排他的にならざるを得なかった。「このエリアには30家族」といった制限が自ずと生じた。田分けしてはいけない、つまり1件が養える農地を2件に分けてはいけないといわれていた。だから「たわけもの」(田分け者)と罵られた。 昔は農地は家単位で1ヘクタールぐらいがちょうどいい。肥料を自然から賄う場合、1ヘクタールくらいが限界であり、牛・馬・鶏・人の糞や藁、青草などを用いた。 川の上流から用水路を造ったが、取水口が安定せず、農業用水が足りない。この「足りない・限られている」ことが農村共同体の性格を作った。つまり田分け水分け、また燃料の薪分けもしたくないので、地域参入者を好まないという訳だ。それに対して、山村はこのような制約がないので参入者に対して開放的だ。むしろ新しい技術を持ち込んでくることを歓迎する。 
 
○食と健康観、自然観
 地産地消は根本にある。日本の食事作法は、生命をいただく・食べるということから『「み」(魂・霊)を食べる』と表現した。「み」が抜けたものは「から」という。自分は何かしらの生命をいただき、自分がそこの生命世界にお返しをしているので、〈生命循環をそこなってはいけない〉という認識があった。生命世界を生きているから、近場のものを買う。おいしいから 新鮮だからというのもないわけではないが、個体的健康感を求めているのではない(個体はいつか滅ぶから)。つながりの中に生命があるという健康感だ。しかし戦後、「みを食べる」から「栄養を食べる」に変化し、健康感が個体に還元されて考えられている。かつての人々は「つながる世界が健康である」と考えていた。だから食事も大事にするし、そのつながりの出発点は自然だ。そこに自然観がある。 500年代に日本に仏教が入り、教典・仏像が取り入れられた。これが公式仏教だが、それ以前に、人の移動とともに入ってきた民衆仏教があった。国を守る仏教は、儒教と仏教が混じりあい、「法は民の安定である、法は国家の安定が必要である」。貴族たちは金光明最勝王経や法華経を好んだ。それに対して民衆たちは仏教はつながる世界の表現・象徴としてとらえた。つながる世界の化身が第一如来であり、これをつきつめた一人は空海だった。つながる世界=曼陀羅と考えた。 人間は生きている過程で生命を殺しすぎたり、失敗もあるが、かつての人々が失敗を直そうとするときの問いは「我々はつながる世界を壊してはいないか?」ということだった。つながっている世界を信仰するから、たえずこのことを再確認していた。 
 
○共同体の崩壊
 今は水がダムからくる仕組みになっていて、用水路とともにあった農村のあり方がくずれている。一方、水問題はかなり解消されているし、燃料もとりあえず手に入るようになった。 古い共同体は自分たちの共同体を維持していく必要がある。現在、地域参入をいやがるのは壊れた共同体ではないだろうか。共同体ではなくなったときに、個人の権利を侵害されるのがいやだという理由で、排他性がでてきた。昔は共同体のルールを教えさえすればよかった。地域には必ず、昔の共同体の大事さを理解している人がいる。挨拶ができる人は良いというのはよく言われることだ。香典なども集落によって出し方が全部違う。ルールに従わないと助け合いが壊れてしまう。継続性、脱落者を出すことは恥(助け合い)ということが根底にあった。陰で噂話をする、というのも共同体が壊れているからだろう。
 
共同体を維持する『知恵 』について語る内山さん
 
 明治以降の歴史は共同体を壊してきた歴史だった。役人が村長に任命された。学校が村人の精神改革を起こした。仏教と神道を分け、地域の神様の信仰から、すべて国家神道につなげる大改革を行い、皇室崇拝の構図をつくった。国家意識の醸成は、特に日清日ロ戦争のあとに成功した。しだいにソメイヨシノをが日本の花になっていった。もともと山桜は山の中に祖先の霊がぽつっぽつっと現れているのだといわれていた。 共同体は日本の一地域にしかすぎない。国家に飲み込まれていったけれどもなんとかその形状を維持していたが、最終的に壊れていくのは1960年代、高度成長期だった。
 
お話のあとの、シェアリング
 
●昼食(結いどこ)
 
●アジア学院卒業式
12/11 はアジア学院の卒業式でもありました。
昼食休憩の時に、参加者有志で臨席させて頂きました
国際色豊かです
出身国に帰ってから、農村指導者として期待されています
 
●カリキュラム5 「日本のコミュニティの伝統智とは3」 講師:内山節さん
カリキュラム5では精霊信仰、修験道、道教、仏教「つながり」「おのずから」といった内容についてお話を伺いました。
 
【講義概要】
(1) 何を精神的な拠り所をしてきたか?(祭り、修験道、山の神など)(2) 共同体における死とは?
 
【講義内容】
 
○日本的世界観
 世界観とは「世界がどのような構造になっていて我々がどうそれに関わるか」、と考えることであろう。こういうことは必要だが、日本の伝統的な世界観とはちょっと違う。かつての人たちは自然との「つながりの中で」考えていた。
 
○「おのずから」
 自然というのは明治になってできた言葉で、それまでは「じねん」と読んでいた。じねんの意味は「おのずから」で、「しぜん」とよむと「突然」という意味を指していた(突然のできごとも、自然としての原因がある)。
 
○日本文化と道教
 道教は古くから日本に入ってきていた。端午の節句は本来道教の儀式で、江戸時代に変化するまで、もともとは男女年齢を問わない行事だった。冬を通して芽生えて強い草をからだに入れることで、からだをキレイにする儀式だ。七五三も道教の儀式だ。 老子は国家が表にでてくるが、荘子は国家はあまり関係ない(無為自然)。自分の思いのまま生きる、おのずからのままに生きることを理想とする。日本には早くから受け入れられた。
 
熱心に講義を聴く参加者
 
○仏教とキリスト教の違い
 カトリックの場合はバチカンが全てを統括しているが、仏教は特に統括者がいない。土着のものと融合して変化するのが特徴(日本仏教、チベット仏教、中国仏教など)で、管理のしかたも非常にゆるい。教義を厳密に守るキリスト教に対し、仏教は地方ごとに変容する。教典自体が地場の色彩を強くもち、訳す人によって内容に特徴が出てくる。儒教系の人が教典を翻訳すると儒教のにおいが強くなる。儒教は国家の安定がすべてとする思想体系だ。臨済宗は儒教的なにおいが強いが今はだいぶ土着に近くなっている。道教系の翻訳者もいた(浄土系、曹洞宗、真言宗(空海))。
 
○西洋と日本の考え方のちがい
 人間もおのずから生きることが理想だが、人間は自分というものがある。この結果としておのずから生きることができない。日本の思想、仏教では「私」を持っているためにろくな生き方ができないと考え、自分を排する方向に向かう。悟りを開くとは、いわば自然に戻ることである。西洋文化は逆で、自分があるからこそ文化ができる、と考え、どちらかというと自分を持つことがよいこととされる。日本の思想は確信をいおうとすると文学的になるが、西洋は理論的になる。
 
○「おのずから」の具現としての神仏、回帰としての死
 「私」を持っているためにろくな生き方ができないと考える。悲しき存在としての人間があり、悲しくないものは自然である。日本の人たちが見出した真理が「おのずから」だった。真理は見ることができない。見えない真理が我々の前に姿として現れるのが権現思想であり、神仏だ。そこに山岳信仰が生まれる。「おのずから」が姿を表したものが山なのだ。真理を教えようとするのが大日如来で、それでも分からない人にたいして不動明王が現れる。人は死ぬとおのずからの生き方と成り、自然と一体化し、里を守り続ける。おのずからに生きられない人間たちが近くの山に帰っていき、私という垢(あか)をとる=自然と一体化する。「死」もまた1つではない。自然の世界から子供が生まれると考える。あるツナガリの中で別れ=死があり、出会い=再生がある、日本人はこういう世界観を持ってきた。 民衆が信仰してきたのは、現象としては多様だけど究極的には一神だ。たくさんの神仏があるが、すべて「おのずから」の化身(一即多)。日本は多神教なのではなく、たくさんの神様が出てくるのは現れ方が多彩なだけである。天皇家の多神を根底においたから、わからなくなった。「日本は多神教」という言い方には気をつける必要がある。 
 
○日本人と精霊信仰
 もともと日本で発生した人間はいない。台湾にいた人たちが船を使ってポリネシアへ乗りだし、再度台湾に戻ってきて、インドネシアの文明にも影響を与えつつ、日本の方にも移住し、縄文のさきがけとなった。ポリネシアではマナ信仰(すべてに神が宿っている精霊信仰)もっていた。それに対するカミ信仰を、天皇一族をふくめて持ってきたのは中国朝鮮からやってきた人たちだった。天地創造の神(日本神話の天皇家側のカミ)を作ったのはカミ文明側のひとたちで、もともとの日本人にはマナ文明的な精霊信仰があった。
 
○修験道と国家
 奈良時代には山林修行というのが出てきた。これが修験道のはじまりではないかといわれているが、修行を通して伝えていく宗教なので書物が残されていない。修験道成立は600年代中頃、開祖は役小角(役行者)とされている。修験道では死=それまでの自己と別れる=再生であり、死と再生の宗教だ。密教とも重複する。山を歩き、滝に打たれる。この後の修験道体験では「さんげ、さんげ、六根清浄」と唱えるが、さんげとは懺悔のことで、人間であることをごめんなさいと懺悔する。人間の意識は六根から成り、これがきれいになると人間がきれいになるとされている。六根とは、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識のこと。すべては脳の下請けではなくて、人間の認識だととらえる。 明治5年に修験道禁止令が出て、戦後の新憲法が発布されるまで禁止されていた。富国強兵の政府の方針に対し、おのずからという自然信仰は、最も相反するものだったためだ。修行のみで伝えるものが数十年禁止されたためにわからなくなってしまった。当時、専門の修験者だけで17万人も失職したという(当時の人口は約3000万)。因みに現在での宗教専門職は23万人いるという。
 
講義の後のシェアリングタイム、嬉しそうです!!
 
★ワーク「修験道体験」 湯殿神社にて
 カリキュラム5の後、修験道体験をしました。なんとアジア学院の裏山は修験道の山で、湯殿神社という神社があるので、鳥居の前に集合。
 
鳥居の下で説明を受けます
 
内山さんの先導のもと、
みんなで「さーんげ さんげ 、六根清浄」と唱えながら、参道を登りました
 
参道の途中の広場で記念撮影
 
 
頂の神社の境内でも内山さんのお話が続きます。みなさんも厳かな雰囲気に包まれつつ、内山さんを囲んで真剣に聞き入っている様子でした。講義で聴いたことを実際に体感でき、古の人々の思想をより身近なものに感じられました。
 
●カリキュラム6 「伝統智を未来にどう活かすか」  講師:内山節さん
 
ここまでは講義主体でしたので、カリキュラム6はワーク主体、「(1)まず自分たちの身近な地域でどんな伝統智があるか(2)未来に伝統智をどう生かすか」をグループに分かれてそれぞれ話し合いました。
 
先ずディスカッション
 
模造紙にまとめて行きます
 
(1)身近な伝統智については、何代も続く神楽の伝承、満場一致の寄り合い、調整役の人間がいること、葬儀、祭り、ビールなどを寄付する再分配、おもてなし、自給率の高さ(豆腐 こんにゃく)、水車や水路、共同作業(草刈り、水路掃除 交通整理)、日本食(味噌、酒)などがありました。また、多くのグループで「地域の伝統智」 が思いつかなかったという声も聞かれました。伝統智の断絶が起こっている証とも言えるでしょう。これに対して、自分の地域に伝統が残されていないならば「ないことに気づく」、東京などニュータウンは伝統がないというけれど、本当にないのか、古い地図や絵で調べてみる、といった提案がされました。
 
(2)伝統智をどのように活かすについては、「伝統智を継承する・現代と融合させる」「伝統智がなぜ良いのかを理論的に伝える(日本の風土にあう、など)」「好きか嫌いかという感覚を大事にする」「自然に楽しんで伝統を生きることが大事」みなさんの伝統智に対する姿勢が感じられました。皆さんの意見をまとめると、(1)まず知る・聞く(知る機会があまりにも今まで少なかった。)(2)楽しむ!(3)エコビレッジやトランジションタウン等、自分たちで何か作っていく中に取り入れる、といった提案がなされました。
 
皆の前で発表します
嬉しそうな雰囲気が溢れています!!
 
発表のあとで、内山さんより、以下の様なコメントを頂きました
 
「観客だらけの祭りが増えている。本来、祭礼は全員が参加者で、観客がいない。祭の要素は、一つは神事、一つは娯楽、もう一つは身分関係なく結集すること。」「日本食といわれるものも実は伝統とはいい難いものも多い。例えば、ようかんは日露戦争後に朝鮮半島に渡った兵士が持ち込んだものだ。昔は砂糖がなかったので、干し柿を練り込んで甘みを加えていた。醤油(穀醤)の普及もわりと新しい(江戸時代頃)。古くから使われてきたのは魚醤系だった。」「道具を持つことで伝統が再生していく。例えば料理の道具、祭りの道具など」 

「今の日本人は80%くらい西洋人的になっている。徐々に身体をもどして行きたい」 

「過去を楽しむことが大切」 

 
内山さんも楽しそう
 
更に、「共同体の伝統がこれだけ崩れてくると、「仕掛け」が必要になってくる」と、内山さんは上野村で20年ぶりに結婚式を復活させた若い移住者の取り組みや、ご自身も関わる地域の食材を扱うレストランのことなどを紹介されました。「人が集まらなかったら地域づくりも何もない。帯広で、仕事を終えた農民が一品出すという屋台村が成功している。高崎でも、高崎市の食材に限る屋台村が成功し、盛り上がっている。地元の商工会議所や信用金庫が3000万くらい出資してくれている。金融機関を仲間に入れるのも大事。 現代は再分配システムが薄れて、お金を出しづらい雰囲気がある。それは不安要因がたくさんあるから。私は私有財産を自分の中でファンド化して、20%はみんなの預り金だと思ってる。」 

再分配と地域活性、ここでも経済が関係してきますね。 

 
●夕食 (結いどこ)
このとき、サプライズで12月生まれの人のお誕生日をみんなで祝いました!特にこの日が丁度お誕生日だった聖子さんには、手作りバースデーケーキをプレゼント!!二胡の演奏までありました。この日のためにみんなが内緒で準備していたので、非常に喜んで頂けました。とても暖かい時間でした。
 
ケーキを前に、『 ハイチーズ 』
 
素敵なケーキ
勿論、みんなのハンドメイド!!
 
●コミュニティ・タイム2 「シェアリング(トーキングステイック)」
 
2日目のコミュニテイタイムは、トーキングステイックを使った心のシェアリングでした。蝋燭に火を灯しながら、今感じていることや心の内を話したい人が、輪の中にある木のステイックをとって、話をします。今回も、感じていることを、思っていることをみんなで共有することができました。この時間を通して、少しずつ心のつながりができていったらと思っています。
 
【3日目(12/12)のプログラム】
・農作業・朝食・前日の学びの報告 

・カリキュラム7「全生命の集い」 

・カリキュラム8「デザインタイム1」 

・昼食 

・カリキュラム9「デザインタイム2」 

・振り返り・クロージング 

 
●農作業 
朝6時50分にセミナーハウス正面玄関の前に集合、皆でアジア学院の圃場に向かいます。
 
早朝のアジア学院
12月と言うことで、だんだん寒くなって来ます
 
今回は大豆の選別作業でした
 
選別した大豆は販売用に回すとの事で、作業を進めました。選別はまさにアナログチックな作業で、『 この作業で選別した大豆に人件費を載せたら、いったいいくらになるのだろう? 』との声が聞かれました。
 
●朝食 (マクロビ:玄米7号食)
 
●前日の学びの報告(参加者)
 
●カリキュラム7 「全生命の集い」
 
ワークの説明をする鎌田さん
 
このワークはディープエコロジーの世界では有名なワークで、自然と深くつながり、ある生命になりきって、自然の側から世界をみる体験をします。まず、一人になって自然の中へ入り、感じるままに、人間以外の何かの生命にチューニングします。
 
大の字になって自然とチューニングし、イメージを受け取ります
 
それから各自で、受け取ったイメージを表現する『お面』を作ります。
思い思いにお面を作っています
 
お面を付けて、集いの場へ集まります。
仮面の集会、少し不気味かも‥‥
 
気持ちいい空の下。木、石、雑草、木の実、名もなき小さな花、水、音の神、オーラ、季節、全宇宙の存在といった、様々な生命が集まりました。さて、次はそれぞれの立場から地球の現状について気づくことを話し合います。「最近、人間たちがわれらの世界を脅かしておる。今日は、みなの声を聞くために集まってもらった。みなの想いを語り合おうぞ」との長老の言葉を口切りに、話し合いが始まります。 
 
話し合いが始まりました立ち上がってそれそれからのメッセージを伝えます
 
感情みなぎる舞、ふりそそぐ“太陽”エネルギーの表現。ふわふわとそよぐ”風”は「なんだか最近は電線が邪魔なんだ」と困った様子です。“木”は日本の木材がつかわれていないことを憂いていました。「前はいろんな生き物がいた。でも、最近は寂しい」自然が失われていることに胸を痛めています。「木があるから、土があって、空があるから生きている。すべての生命のつながりを思い出そう。」と“木の実”は語ります。”水”は繋がりが切られ、汚されてしまっていることを嘆きます。「みんなの心がきれいになってくれれば、みんなとまたつながることができる」…
 
「人間は我々の存在がわからないのかもしれん。われらの英知と愛を与えてみようぞ」。最後には「人間代表」を呼んで、感じていること、思いを伝えあいました。「生かされていることに感謝して」「どうか自然を大切にする心の意識を」「共に生きていこう」?それぞれが新たな気持ちを胸に、厳粛な雰囲気のうちに終わりました。この人間以外の生命の立場になって語るというのは、本当に新鮮な体験で、終わった後も不思議な感覚が残ります。『生命の巨大な織物の一部』としての私の存在に気づき、あらゆる生き物、存在との深いつながりを実感することができたように思います。また、自分の中の変容する意識、直接的な感情をみんなと分かち合う中で、新しい世界観を感じることができました。
 
●3日目の昼食は、アジア学院の食堂でご馳走になりました。
バイキング方式です
 
ついつい食べすぎかも‥‥
 
●カリキュラム9「デザインタイム2」 担当:ノリさん
 
「デザインタイム2」は、今進んでいる色々な取り組みを、誰がどの取り組みに関わっているのかを整理し、各プロジェクトが4象限(都市、農村、IC、NIC)のどこに位置づけられるのかを明確化させます。具体的には、新たなプロジェクト提案がある場合はその新規提案→チーム編成の確認→位置づけについての話し合いの順序で話し合っていくことになりました。
真剣な討議が行われました
 
真剣と同時に、凄く楽しそうな人も
 
4象限(都市、農村、IC、NIC)に位置づけて行きます
 
整理の結果、富士ヶ嶺プロジェクト(以下P)、大分・豊後大野市エコビレッジP、豊かな山根P(廃校になる小学校再興)、トランジッション那須P、サモアの森の宿 そらの風P、以上5つの新規プロジェクト提案がありました。これに加えて、安穏市P、エーデP、コミキャバPの計8つで話し合いを進めました。
 
どのプロジェクトに関わるのかについての話し合いをして、3つのキークエスチョン(どのようなコミュニティをつくりたいか、世界観の学びをどう活かすか、次回までのアクションプラン)についてそれぞれのグループで話し合いをしました。どのグループも、これまでの学びで得たものをヒントに、個性豊かな構想と具体的アクションを練り上げました。
 
●振り返り・クロージング
EDE第4回、充実した3日間が終わりました。今回は各日ごとに内容がかなり異なっており、色々な刺激をもらえたように思います。
シェアリングするヤスさん、素敵な笑顔!!
周りの人も凄く楽しそう!!
 
振り返りでは、ノリさんの講義、内山さんの講義、全生命の集い、どれも参加者のみなさんに好評だったようです。内山さんの講義に関して「いかに自分が日本のことをいらなかったか。伝統智を学びなおしたい」「(日本の伝統が)遠いもののように感じていたが、すごく身近なものだった」といった感想がありました。実際に体感するワークがあったのも好評でした。一方、参加者同士の関係についても、より深い関わりを築いていきたいとの声が多く聞かれました。
 
特にノリさんや内山さんのお話は濃いものでしたので、ぜひ反芻して頂けたらと思います。次回は「食と健康」の回です。どうぞお楽しみに!
 
調理スタッフのミホさんもシェアリング